[7"EP]
The Four Dudes
"My Heart Is Broken / Hurt Took The High Road"
愛についての表現のなかには、共有される体験や、言葉にするのは難しくても感性によって理解される感情があります。そうした誠実さが込められた歌の代表的な例がザ・フォー・デューズの“マイ・ハーツ・ブロークン”なのです。
ザ・フォー・デューズのリード・シンガー、チャールズ・プーキー・ラッセルは「ブロークン・ハーツ」についてこう語っています。音楽に没頭する人生を追求するという野心が、彼を自身のホームタウンであるサンアントニオからヒューストンへ向かわせ、彼女をも残していくことになったと。チャールズの音楽キャリアは、60年代中頃にサム・ヒューストン高校で学んでいたときに始まりました。コーラス隊で、レジナルド・ウィテカーとローレンス・アレキサンダーに出会い、このトリオが、彼らの最初のハーモニー・グループ、ザ・スリー・デューズとなりました。デューズは、キャデラックスやプラターズなどのグループに影響を受け地元で大きな人気を獲得し、1967年にはE.J.・ヘンケのサテン・レーベルで最初のシングル「サッド・リトル・ボーイ」と「アイム・ベギン・ユー」を制作発売するに至ったのです。
1969年までにはケネス・ボールが加わり、ザ・スリー・デューズはザ・フォー・デューズとなりました。デューズは自分たちの音楽でフルタイムのキャリアを追求することを決断し、ヒューストンで得られる機会がその動きを後押ししました。ザ・フォー・デューズは、最初の1年でジェームズ・デイヴィスをマネージャーに迎えましたが、彼がヒューストンのヘビー・アクセント・バンド(Heavy Accents Band)と彼らとを繋げたのでした。週に何度もライヴを行っていた彼らは街中で評判になり、デイヴィスは自分のインディペンデント・レーベルであるSivad-Jからシングルをリリースするために彼らをスタジオに呼んだのです。デイヴィスが初めて「マイ・ハート・イズ・ブロークン」を聴いた時にはシングル盤にしようと彼らは決めており、同じ年にシュガーヒル・スタジオで録音され7インチシングルとして発売されました。
1969年、この曲の誠実さがラジオを通してヒューストンを魅了したのですが、とりわけKYOK1590でのジョージ・ブーガルー・フレイザーの番組では定番となりました。シングルはローカル・ヒットとなりましたが、配給不足と少ないプレス数が原因で、町の外に知られることはほとんどありませんでした。ザ・フォー・デューズはヒューストンで3,4年ほど活動を続けましたが、フィラデルフィアに移りイメージというグループになりました。
ザ・フォー・デューズのこのシングルはシンフォニカル・レコードから限定7インチ盤として1969年以来初めての再リリースとなります。チャールズ・ラッセルの許諾の元、デイヴィス家から直接ライセンスを受けています。 (レーベル資料より)
※この商品は輸入盤です。(日本語テキスト等は付属していません)
Side A:
My Heart Is Broken
Side B:
Hurt Took The High Road